5/8
前へ
/103ページ
次へ
父親は、昔の教え子たちに請われて、退職した次の年から合唱団を主宰していた。 近くの公民館を借りて、週に一度活動をしていたが、次第に団員が集まらなくなり、2年ほど前に解散してしまった。 基本的に中学生の集まりであり、俺が合唱団に参加したのは半年くらいのものだった。 自分の親のことを言うのも何だが、合唱を指導している時の父親は、今まで見たことのないほど生き生きしていた。時には、きき迫るほどの指揮をし、初めて父親をかっこいいと思った。 そして、俺自身も合唱に魅せられてしまったんだ。 なのに、学校の合唱コンクールでは、何も考えず、ただ楽譜通りに歌うだけ。 男子はほとんどやる気がなく、意味不明に燃えている女子が泣く。 そんな状況の上に、短期間でまともな演奏ができるわけはない。 先生の教え方も、 「大きな声を出しなさい、元気よく」 くらいなもので、父親の指導を知っている俺は幻滅するしかなかった。 確かに、この高校の合唱部の出来がひどいのも、森田先生の指導力不足だと言えるだろう。 しかし…。 「それは、父に聞いてみないと何とも言えないです」 俺は、答えた。 「また、先生に指導してもらいたいんだよ。部員のみんなにも」 田中さんが強い口調で言った。 「勿論、私からもお願いに行くわ。でも、お父さんに話してみてくれないかしら?」 「わかりました」 「とにかく時間がないの。出来るだけ早く伺いたいんだけど。明日以降、先生の都合の良い日を聞いていただけると助かる」 森田先生は、もう一度、 「本当に、時間がないの」 と呟いた。 俺は、その意味がわからず、ただそこに座っていた。
/103ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加