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黒外套の人物は、真っ直ぐにその巨木へと歩み寄る。
年月を経て苔むした、しかしながら太く逞しい幹。
大の大人五人が手を繋ぎ輪を作っても、その幹を囲むことはできそうもない。
そんな緑の壁のごとく巨大な幹の根元に、黒外套の人物はかがみ込んだ。
手を伸ばす。
周囲はこれまた苔むした太い根が数えきれぬほど地表に突き出ており、さながらいびつなウッドデッキのような様を呈していた。
黒外套の人物はそれらの根を踏みつけながら巨木へと近づき、突き出た根と幹、そして地表との隙間にぽっかりと空いた穴へと、その腕を差し込んだのである。
腕しか入らぬほどの小さな穴。
それは木のウロというわけではなく、根と根の間の土に空いた穴である。
まるで巨木に抱かれるかのように存在するその小さな穴の中を、黒外套の人物は衣服に土が着くのも構わずしばらく探る。
やがてその伸ばした手が、何か硬質な感触を掴んだ。
「これか…」
衣服の袖口をたくしあげ、慎重に掴んだ物を取り出す。
「ほう…」
思わず漏れ出るため息。
地に置いた松明を手繰り寄せ、取り出した物を灯火の中で眺めた。
「蠱惑的な漆黒、魔性の美しさ、なるほど、まさしく『魔石』と呼ぶに足る」
黒外套の人物は、自らの掌に収まる黒き石を凝視しつつ、無表情なままつぶやいた。
それは小さく軽い、そしてうるしのようにしっとりとした黒さを持った石である。
『黒曜石』に似た艶のある黒であるが、灯火を当てても一切光を反射せず、輝くこともない。
形状は紡錘型で、大きさは人の握り拳より二回りほど小さい。
極端に光を吸収しやすいということ以外にこれといった特徴のない、ただの黒い石ころである。
「これで、事は半ばなった」
黒外套の人物は、無表情なまま口の端を歪めて、いびつな笑顔を作った。
この石が、この大陸に未曾有の波紋を立てる、文字通り一石となることを、彼は知っているからである。
「歴史は再び繰り返し、必然の帰結を迎える…」
大事そうに黒い小石を懐に収めると、黒外套の人物は衣服に付着した土を払った。
そして松明を掲げ、来た道を引き返し始める。
だが、再び巨木の全景が視界に収まる位置まで戻ると、彼は振り返り、誰にともなく語りかけた。
「人よ、生きよ。そして我に与えよ。大いなる……」
彼の祈りにも似たつぶやきを聞く者は、黒き森の黒き木々だけであった…
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