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北の砦。
そういう呼称が着けられた、北の国境に隣接するこの砦は、相当に歴史が深い。
大人の背丈の二倍程もある石塀の石が、長年の風雪にすっかり丸みを帯びてしまっているほどである。
だが、それ程歴史が深いにも関わらず、この砦を誰が何の目的で作ったのか、ここに駐屯する三十名の兵士誰一人として知る者はいなかった。
通常砦とは、外敵の侵入に備えて国境添いに配備するものである。
しかしこの地、『森の国 ウォルド』は、大陸の北の果ての国。
外敵どころか、ここより北は人跡未踏の地なのである。
では何故そのような砦に兵士が詰めているのかと言うと、それはひとえにこの地に住まう人々、『森の民』の信心深さに他ならない。
「北の境に砦を築き、そこよりさらに北の森を監視せよ」
もう何代前になるかも分からぬ昔の王の言葉を脈々と受け継ぎ、今でも忠実に守っているのである。
だが、遥か昔には明確な意図があったであろう王の言葉も、世代が進むにつれてその意味は希薄になり、今ではただ形式的に見張っているに過ぎなくなっている。
それでも見張りを続けているだけ『森の民』の信心深さが窺えるというものだが、同じウォルド国民といえど千差万別。
特にヤックにとっては、この無意味な見張りが嫌で仕方がなかった。
「失礼しますだよ」
中庭を通り抜け、二人はある部屋の扉を開いた。
そこはこの隊を取り仕切る者、ウォルド北国境警備隊隊長の執務室である。
「今日も異常なしですだ。隊長さん」
部屋の四隅をランプの灯りで照らした小さな部屋。
そこに木製の大きいが粗末な事務机を置き、同じく粗末な造りの椅子に座って、一人の男が書き物をしている。
「入る前にノックをしろと、いつも言っておるだろう。ヨッブ」
ペンを持つ手を降ろして男は立ち上がり、事務机の前へと回り込む。
「ナハハ。すまねえだ。隊長さん」
「まったく…まあ、いい。二人とも、見張りご苦労だった」
隊長なる男はキリッと整った細い眉に力を込め、同じく糸のように細い目をさらに細めて、わずかに口ひげを揺らした。
どうやらこれが、この男の笑った時の仕草であるらしい。
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