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「では二人とも、これに記帳したまえ」
男はヨッブの前に、一冊の帳簿を差し出した。
表紙には『報告書』と書かれているが、帳簿状に綴られた報告書とは何とも珍しい。
だが二人は、そこへ慣れた手つきで記帳していく。
今日の日付、自分の名前、そして『異常なし』の一文。
わずか一行で事足りるその報告内容から、一枚一枚紙を使っていては勿体ないため、このような帳簿状の報告書となっているのである。
『何月何日 異常なし』
『何月何日 異常なし』
『異常なし』『異常なし』『異常なし』……
ここへ配属されてから、来る日も来る日も、毎日同じ事の繰り返しである。
「なあ、隊長さんよお。いつまでこんな事続けるつもりなんだ?」
キツネ目を釣り上げつつヤックがそうボヤくのは、ヨッブが覚えているかぎりもう五回目である。
「腐るな、ヤック。異常がなければそれが一番なのだ。それともお前は、異常があったほうがいいのか?」
「そういうわけじゃねえけどよお…」
たしなめる隊長と、ため息をつくヤックを見るのも、同じく五回目ということになる。
「隊長さんに当たるでねえだよ、ヤック。あと一年で解放されるオラたち民兵は、まだいいほうだよ。正規兵の隊長さんたちは、この先何年もここに居なきゃあなんねえんだべ」
緩く笑うヨッブの言葉を聞いても、ヤックの胸に溜まった鬱屈は晴れない。
「木こりのテメーはいいだろうよ。一所に留まるのは慣れてんだからな。けどオレは猟師なんだ。獲物を求めて森を駆け回る狩人なんだ。こんな場所でじっとしてちゃあ、自慢の脚が腐っちまうぜ!」
怒りに任せて長口上を述べるヤックであるが、ヨッブの記憶するかぎり、このセリフもまた五度目であった。
ところで、ヨッブの言葉にあった『民兵』について、少し説明しておきたい。
ここ『森の国』ウォルドは、さして肥沃でもない北の果てに位置する小さな国である。
国土は乏しく、国力は低く、町と呼べる規模の集落に至っては、国都である同名の『ウォルド』ただ一つ。
国と呼ぶことすら怪しい、小国なのである。
そのため、国を守る軍隊の数が列国に比べてどうしても少なくなってしまう。
千人を少し超える『森の民』を守る職業軍人、いわゆる正規兵の数は、わずかに百人。
これは、隣国の軍事力に対して十分の一にも満たないのである。
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