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解同方式を学んだ民団は、やりたい放題であった。
それまでも、やりたい放題だったという批判は甘んじて受けるが、行政乞食は生まなかった。
すなわち、個人の生活を他の人が納めた税金で維持しようという運動はなかった。
協定永住権の獲得も、指紋押捺拒否運動も、制度改革の運動であって、永住権が得られようと、得られまいと、パチンコ屋も焼き肉屋も、自らの仕事で得た収入の中から割いた活動だった。韓国会館の固定資産税減免を除けば、行政にたかる側面はなかった。
むしろ、在日韓国人は、国民年金も生活保護も期待できなかった。自活は当然の前提だった。
それが、協定永住権者の国民年金加入を皮切りに、どんどん拡大されて行った。
協定永住権者は、大前提として、終戦の日に、日本に在住していた者に限られる。
私は、協定永住権者時代を経験していない。経験できない。
これは、強制連行されてそのまま帰れなくなった人たちの措置であると、行政は説明し続けた。
前にも書いたが(翻訳者注:前作、「もと韓国人李美姫」・まだ見ぬ日本に憧れを参照いただきたい)、強制連行なんて、ほとんどなかったのである。国民年金加入について、私は行政の窓口で、何度も説明したが、聞き入れられなかった。役所の窓口の係員に悪意はなかった。強制連行のフィクションを真に受けていたのである。
素晴らしい(?)教育の成果である。
そして、事実を本当は知っている、私と同世代の在日韓国人は、真実を語れない。真実を語ってしまったら、自分たちに滞在資格なんか、道義上は有り得なくなる。そして、その世代が死に絶えると、二世以降は、自分たちに都合の良い捏造史の方を信じる。
ただ、戦後一世だけは、忘れない。
法を犯して日本に渡った韓国人に特別永住権(協定永住権の発展型)を与え、法を守って韓国に留まり、戦後日本に渡った韓国人を一般永住権者のまま留めおいた日本政府の逆差別を!
いつも、なんの施策も、協定永住権者向けで、私の頭上を通り過ぎて行った。
しかも、帰化手続は、民団は何も手伝ってくれなかった。
私は自分で韓国領事館に行き、自分で書類を揃えた。
民団がしてくれたのは、帰化と同時に、民団韓国語教室の講師の私を解雇することだけだった。
つまり、彼らは、自分たちは、選挙権以外、あらゆる同権を手にしながら、同胞であるはずの私には、年金受給権さえない一般永住権者でいろと、要求したのである。
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