99人が本棚に入れています
本棚に追加
民団は、購買部の機能だけを利用する会員を「購買部員」と馬鹿にするが、長い間、購買部は、これこそが、「最後の民団」だった。
毎朝豆腐屋へ行く日本人がいたように、毎朝キムチだけ買いに来る民団員がいた。
アパート・文化住宅の住民にとっては、キムチ樽を置くスペースが自宅になく、あっても、キムチの匂いを嫌がる隣人への遠慮があった。
キムチを毎日、当日分だけ供給し続けたのは、民団購買部であった。また、樽ごと会員から預かる制度もあった。
しかし、もう、鶴橋キムチが、流通に乗って、スーパーで手にはいる。しかもそっちのほうが安い。
平壌冷麺さえ、鳥取で手に入る。一世一代の嫁入りチョゴリは、貸衣装になった。チマチョゴリはキモノと同じ運命をたどった。朝鮮学校にでもいかない限り、チマチョゴリは、成人式結婚式専用である。
チマチョゴリを嫌がる三世・四世さえいる。
祖国の躍進を宣伝する韓国(または北朝鮮)の雑誌は全く売れない。そもそも三世・四世は、ハングルが読めない。
かなり自由にこのおばあちゃんの韓国語会話に付き合ってくれる、娘さんと話をし、手紙を出す仲になって初めて、その子がハングルを読めないと知る。
民団がどんなに頑張っても、韓国学校がどんなに頑張っても、在日韓国人の子達は、受験科目に忙しい。
購買部に買いたいものがない。
そして、キロ千円を超す、高級系のキムチは売れない。買いにくるのは、ラウンジの経営者。
民団嫌い、または、面倒くさがりを、民団に繋ぎとめていた最後の砦が崩れつつある。
同和銭湯と同じである。
差別感情が、いつも、銭湯の喧嘩の原因になった。
部落は、最後、無料でいれてやるから、一般の営業時間に来るな、そんな時代があった。
同和銭湯が建ったとき、宵の口から風呂に行けることが、どんなに部落への福音だったか、想像に難くない。
だが、いわれなき不浄観が解消に向かうと、部落住民は一般地区の銭湯に行くようになった。
部落民も持ち家が増えるし、同和住宅には風呂がある。もう、銭湯を必要としない。
喜ぶべきなのである。
キムチ臭いが、差別用語だった時代から、キムチを品評する日本人がいる所まで、キムチは認知された。キムチが、人間に先立って、日本人社会に進出したのである。
同和銭湯がなくなり、部落とそうでないものが、連れ立ってサウナに行く。
差別がなくなったのである。喜べ。
差別が飯の種の解同職員に騙されるな。
最初のコメントを投稿しよう!