民団は、歴史的使命を終えた。

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民団は、購買部の機能だけを利用する会員を「購買部員」と馬鹿にするが、長い間、購買部は、これこそが、「最後の民団」だった。 毎朝豆腐屋へ行く日本人がいたように、毎朝キムチだけ買いに来る民団員がいた。 アパート・文化住宅の住民にとっては、キムチ樽を置くスペースが自宅になく、あっても、キムチの匂いを嫌がる隣人への遠慮があった。 キムチを毎日、当日分だけ供給し続けたのは、民団購買部であった。また、樽ごと会員から預かる制度もあった。 しかし、もう、鶴橋キムチが、流通に乗って、スーパーで手にはいる。しかもそっちのほうが安い。 平壌冷麺さえ、鳥取で手に入る。一世一代の嫁入りチョゴリは、貸衣装になった。チマチョゴリはキモノと同じ運命をたどった。朝鮮学校にでもいかない限り、チマチョゴリは、成人式結婚式専用である。 チマチョゴリを嫌がる三世・四世さえいる。 祖国の躍進を宣伝する韓国(または北朝鮮)の雑誌は全く売れない。そもそも三世・四世は、ハングルが読めない。 かなり自由にこのおばあちゃんの韓国語会話に付き合ってくれる、娘さんと話をし、手紙を出す仲になって初めて、その子がハングルを読めないと知る。 民団がどんなに頑張っても、韓国学校がどんなに頑張っても、在日韓国人の子達は、受験科目に忙しい。 購買部に買いたいものがない。 そして、キロ千円を超す、高級系のキムチは売れない。買いにくるのは、ラウンジの経営者。 民団嫌い、または、面倒くさがりを、民団に繋ぎとめていた最後の砦が崩れつつある。 同和銭湯と同じである。 差別感情が、いつも、銭湯の喧嘩の原因になった。 部落は、最後、無料でいれてやるから、一般の営業時間に来るな、そんな時代があった。 同和銭湯が建ったとき、宵の口から風呂に行けることが、どんなに部落への福音だったか、想像に難くない。 だが、いわれなき不浄観が解消に向かうと、部落住民は一般地区の銭湯に行くようになった。 部落民も持ち家が増えるし、同和住宅には風呂がある。もう、銭湯を必要としない。 喜ぶべきなのである。 キムチ臭いが、差別用語だった時代から、キムチを品評する日本人がいる所まで、キムチは認知された。キムチが、人間に先立って、日本人社会に進出したのである。 同和銭湯がなくなり、部落とそうでないものが、連れ立ってサウナに行く。 差別がなくなったのである。喜べ。 差別が飯の種の解同職員に騙されるな。
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