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北の方の恋
「いや、御台所の御苦労には頭が下がるが…あの遊女の愚弄は許し難し、源氏の棟梁として我の顔が立たぬ!」
「鎌倉殿、ならば御台所の顔に泥を平気で塗るおつもりか?
八幡大菩薩の奉納に御台所が静殿に所望した舞いを中断させるとは何事ぞ!」
「御台所、謡いは朝敵である罪人を恋うておるではないか、止めるのは武士として当然ぞ…」
「鎌倉殿、身の程を知るが良い。
私が雨の中、貴方を慕い暗闇の山道を一人彷徨い歩いたのをお忘れか?
あの時の私と…今の静殿の判官殿を慕う気持ちに違いがあるとでも言うのですか!」
「いや…御台所…そは昔の話なるぞ…」
「昔とはなんぞ!
北条の恩義を過去と言うか…北条の後ろ盾無くして、どうやって挙兵ができたと言うの…
言いなさい、流罪人でしかない貴方に北条が何故、味方をしたのか…」
「あぁ、許してくれ…御台所が我を慕うてくれたからだ…我は怒りを鎮める…もう御前への咎めはなしじゃ!」
「鎌倉殿、それで済むとでもお思いか?
私の客人である静殿に対して面目無いとは思わないのですか!」
「いや、できる限りの褒美を与える…静殿の天下一の舞いに御台所より感謝の意を伝えてもらえぬか…」
「それでこそ、源氏の棟梁ですわ…静殿には私より丁重に礼を伝えましょうぞ。」
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文治2年(1186)4月8日、鶴岡八幡宮にて奉納舞いの白拍子を頼朝以下多くの武将が見守る中、静御前は謀叛者の義経を恋う謡いを堂々に舞い踊り、そして喝采を受けます。
この時期、静御前は懐妊六月の身でした。
鎌倉殿は身重の静御前を恐れていましたが、その場は御台所の顔を立て身を引くしかありませんでした。
ところで御台所とは鎌倉幕府を開いた源頼朝の正室であり伊豆国の豪族 北条時政の長女です。
御台所は…その後、承久の乱にて世に尼将軍と呼ばれ称され、天下にその名を知らしめた… 北条政子…その人でした。
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