125人が本棚に入れています
本棚に追加
罪なき赤子
文治2年(1186)7月29日、鎌倉にて静御前は豫州義経の子供を生みます。
静は出産が終わるまで鎌倉の安達清常の屋敷に留め置かれ豫州の行方を尋ねられていたのです。
前もって鎌倉殿の命により生まれ出る子が女児ならば静殿に帰されるが男児ならば将来に禍根を残さぬように命を絶つと決まっていました。
安達清常は赤子を受け取り由比ヶ浜に捨てるが為に屋敷に待機しておりました。
残酷なことに生まれた赤子が男児であったために…静御前は泣き喚き決して赤子を手放そうとしませんでした。
安達の従者や侍女達も皆が悲嘆に暮れるのでした。
磯禅師は当惑し娘の静殿を必死に宥めていました。
安達清常は心穏やかでありませんでした。
いくら鎌倉殿の命といえども清常が直接に赤子を御前より引き離す強行は避けたかったのです。
静殿の母である磯禅師の手で御前の納得の上で赤子を取り上げ手渡されるのを安達清常は待つのみでした。
磯禅師は重い責任を感じます。
待ち望んだ孫の誕生が…よりによって、こんな最悪の状況下で迎えることになるとは…
磯禅師の胸は切り刻まれるように痛みます。
磯禅師は安達殿の顔色を伺うと気が気でありません。
磯禅師は俯きながら足立殿の傍らに寄り添うと耳打ちします。
足立殿の従者数人で静御前を抑えつけてもらい、その隙に乗じ磯禅師が赤子を取り上げる算段でした。
足立殿は産後の静御前に手荒な真似をするのは武士の名折れと躊躇われ、寧ろ安静にすべきかと磯禅師に提言します。
しかし、早く赤子を取り上げないと…御前だけでなく周囲が更なる情に翻弄される…此処は心を鬼にして行動すべきと磯禅師は涙ながらに反論します。
安達殿は暫く逡巡した後…他に打開策も見つからず渋々と了解するのでした。
屋敷の従者は安達殿の指示で悉く参上し静御前を取り巻きます。
静御前は赤子を両の腕で乳房に抱くと周囲を威嚇し壁際で構えていました。
最初のコメントを投稿しよう!