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タバコを投げ捨てる客。
嫌がらせとしてトイレに糞尿を撒き散らす客。
店の備品を壊す客。
店員に絡む客。
店員をナンパする客。
負けが込んで絶望する客。
屑な人間が集まる世界は、それに相応しくタバコの匂いと強い香水の匂いで臭く汚れていた。
パチンコ台と店内放送が奏でる騒音は、機嫌の悪い客の怒号をかき消し、大負けして空虚な感覚に包まれた客の繊細な心境をかき乱す。
仕事を終え、マサキはその世界を後にした。
気持ちは高まっている。
なにしろ、恋心が芽生えた相手、それとコレからカラオケに行くのだから。
「おいマサキ」
「ん、なんすか?」
振り返ると桑田が立っていた。
終礼の時と同じで、少し気まずそうな表情をしている。
何を言いたいのか、それが手に取るように解った。
「いや、アレは…まあ、ね。気にしなくていいっすよ」
「あ、ん?…ああ、そっか、悪いな」
ヒロコの事。
今からユミと会う、その背反する『何か』が心に軽く傷を付けた。
「んじゃ、俺急ぐっすから」
「お、おお、また明日な」
背中を向け、挙げた手で別れを示すと、マサキは車に向かっていった。
ジャリジャリと、踏みしめる砂利が鳴く。
ヒロコのいなくなった現場、あの後何度か歩いている駐車場。
とんっ、と軽い音と衝撃が地面から伝わる。
マサキは眠たそうな目をそちらに向けた。
猫だ。
(最近よく見掛けんなあ、何でだろ)
灰色のそれは、誰かに飼われているらしく、キラキラとデコレーションされた輪っかを細い首に着けている。
デコレーションに負けないような輝きを放つ金色の瞳を一度だけこちらに向けると、すぐにそれはどこかへと駆け抜けていった。
「…ふぅ」
ため息。
また足を動かす。
立ち止まってるワケにはいかなかった。
ヒロコとの過去への悔恨。
ヒロコ失踪の真相に追い付きたいという探求心。
それらが自身を突き動かしている。
というワケでは全くなかった。
純粋にデートが楽しみで、一刻も早くユミの顔が見たい。
それだけだ。
桑田とのやり取りでささくれ立った心の繊細な部分。
そんなものは無かったように、ただ、ユミに会いたかった。
心の中でヒロコの事を考えるのも、ヒロコの名を呟くのも、今となればしたくなかった。
人は人を忘れる。
想いは時に流れ、また時は想いに流される。
当事者たる自身がそれを考えるのは言い訳にしかすぎないだろうが、マサキはただそう思った
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