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「一泊でお願いします。明日の朝にはすぐ発ちますから」
青年は柔和に微笑む。育ちの良さを感じさせる優雅な笑みである。
「まぁ、こんな村に長居する理由なんて無いわよね。若い人にとってはただの退屈なところでしょう。若いときは私もここを出たいとか思ってたわ。ほい、鍵」
カウンターごしにくすんだ鍵を受け取りながら、彼は不思議そうに首を傾げていた。
「そういえば、伺っていませんでしたがお代はいくらでしょうか?」
宿は泊まる前に請求されるもの、と彼は旅の経験からよく知っている。後から宿泊費を請求しようもなら、必ずや無銭でチェックアウトする輩が現れるだろう。
経営する側からすれば、メリットは有り得ない。だから、単に忘れているのだろうと彼は自身の懐に手を伸ばした。
ところが、未請求には理由があったのである。
痛恨の一撃から驚異的な速度で復活したハンスは、風船のように腫れ上がった頭頂部を押さえながら吐き捨てる。
「……お前みたいな若者から金を取れるかよ。タダだよタダ!」
思いがけないその言葉に、青年はしなやかな髪の下で双眸を見開いた。
「私はお金に困っておりません。それでもよろしいのでしょうか?」
泊まった宿の数はもう記憶に留めてはいない。が、その中でも厚意を受けた機会など幾度もなかった。
というのも、ひとえに貴族とわかる容姿を生まれ持ち、本人もまた貴族のような服装を好むため、青年はいつも冷遇される。
このカルネリィア王国は国王とそれに従属する貴族によって統治されているが、民からの評判は史上最悪と言っていいほどに乱れた状態にある。
重税に徴兵、賊の横行、穏やかな暮らしをぶち壊しにする理由がこの国には十分過ぎるくらいある。
これらの背景から民は搾取するだけして、なにもしない貴族を毛嫌いにしているのだ。
だから、歓迎される機会などあるはずもなかった。
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