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【片時雨】②
女がベットから動けなくなってから庭は荒れ放題に成っていた。
男も全てを覆い隠すのにぴったりだと、そのままにしていた。
ただ心配なのは、女が庭を見たいと行ったとき、この荒れ放題の庭をどう思うかだけ。だが、女は何年もベットから離れていない。
男は静かに寝息をたてる女に歩み寄った。
薄いシーツに手を入れ脚をさする。以前は、スカートから覗く白く細い脚が自慢だった。
そのままシーツの中で手を滑らせ、女の手を掴む。
以前は包容力溢れる柔らかい腕だった。
全ては過去。
原因不明の病は、女をベットに縛り付け動く事を許さなかった。
シーツから手を出すと、男の手は深い皺を刻まれた頬をなぞる。
両手で頬を包み込み、ゆっくりと下へと滑らせてゆく。細い首を親指でそっと擦る。こんなに華奢な首だと、30の男にとってはたやすいこと。
スイッチを押す様にグッと力を込めるだけ。
ただ、グッと。
ただ、グッと。
「…苦し…いわ…」
ただ、グッと。
「…け…敬介」
名前を呼ばれ、男は力を緩めた。そして細い女の体に馬乗りになっている事に気が付いた。
女は窘<トガ>めること無くクシャっと笑う。
「ふふ…たばこ、火がついて…ないわ」
殺意が切なさに代わっていく…
「あいしてる」
「しってる」
女は微笑むと、又眠りに堕ちていった。
ほら、又だ。
繰り返される日常。
窓から観る風景が時間の経過を知らせてくれる。
今は六月。
そして、女の変わりゆく姿をみて、時間の重さを痛感する。
荒れ放題の庭を観て、火をつけずに煙草をくわえる。男は殺意を覚える。
女が笑う。
笑顔が水の様に、男の殺意を消火するのだ。
「まだ、君を愛してる…」こんなにも姿が変わってしまっても…
「その微笑みがみれる間は…」
年々、目を覚ます時間が少なくなった今、男の殆どの時間が殺意に埋もれる。
それでも、それでも、微笑みが少しでも見られるなら…
「…ここに居たい。」
湿り気を帯びた空気に誘われ、ふと外に目を移すと糸雨が降っていた。
空は晴天。
男は外の景色に見とれながら、煙草に火をつけた。
「見てごらん。糸雨だ。
まるで、天と地を繋ごうと必死に垂らす糸みたいだね…」
―了―
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