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森には悪魔がいる。
誰もがまことしやかに囁き、小さな子供に教訓として教えるような、よくある話だ。
事実、広い森には崖や川もあるし、野生の動物もいて危なくはある。
親心として、そんな場所に子供を近づけたくないのもわかる。
だから、だろうか。
彼女は森を歩いていた。
昼間だから明るい。なのに、視界の端で何かが蠢く気がする。大抵は風や虫や動物だとわかっているが、小さくなった心が過剰に震える。
いけない。これではいけない。
何度か深い深呼吸をし、向かう末の木々の隙間を睨む。
彼女が向かうのは、森を抜けた先の街だ。
森の周りを回れば馬車で三日かかるが、まっすぐ行けば彼女の足で夕暮れには着ける。
その街に着いたら、宿をとって働かせてくれる場所を探そう。そうして、お金が貯まったら次の街に。できるだけ遠くに。
彼女は、貴族の出だった。
決められた型通りに生きることを拒み続け、婚約者がいると知らされてから――すべて放って逃げだした。
「冗談じゃないわ。顔も知らない野郎と結婚なんて。ならワイン樽に口づけしたほうがマシね」
ザクザクと長い草を踏み分け、裾の長い服が汚れるのも厭わず進む。もう、前しか見ていない。
捨てたものを振り返ることは嫌いだ。未練も後悔も、彼女はしたことがなかった。
「あたしは、自由なんだから」
やがて木々の向こうに切り立った崖が見えて、彼女は小さく舌打ちした。崖は壁沿いに歩いて道を探す必要があるから、余計な時間を使う。
半ば荒れた足並みで崖の足元に向かうと、
「……あら、家だわ」
崖の下に、小さな家が建っていた。
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