1人が本棚に入れています
本棚に追加
歩いて、歩いて、歩き続けて――彼女は先ほどの家に帰ってきた。
「いらっしゃい」
仮面の男は外に小さなテーブルとイスを出し、紅茶を飲んでいた。彼女が罰が悪そうに顔を歪めたが、構わないように新しいカップに紅茶を注いだ。
「疲れたろう。飲むといい」
彼女は唇を噛み、言われるままカップを持った。薄い陶磁器ばかりに慣れていた指には、不恰好な白磁のカップはあまりにも似合わなかった。
「怪我は?」
「……してない」
彼女が引き返してきたのは、先に大きな川があったからだ。
泳いで渡れないことはないだろうが、泳いだあとを考えると怖かった。
濡れた服で歩けるとは思えなかったし、服を脱いで泳ぐという選択肢はなかった。
何より、崖の上から落ちてくる滝が――異常に怖かった。
紅茶を一口飲む。温かい、だが――苦い。
「……苦いわ」
「そのまま飲むものではないからな。蜜とジャムを溶かして飲む」
言われるままに蜜とジャムを入れるが、葉自体の匂いなのだろうか、後に残る渋さは消えなかった。
「……不味い茶ね」
「そのうちわかる」
まるで子供扱いされている声色に顔を歪めたが、言い返す前に仮面の男が先に話し出した。
「ここらの崖は地盤沈下が原因だから、登れるような場所もない。だから街は諦めて外に道を回したんだ」
仮面の男の言葉に、彼女は噛みつく言葉も忘れた。道がない。それだけが理解できた。
「今日は泊まっていけばいい。明日の朝にここを出れば、昼には街に戻れる」
戻りたくない。
出かかった言葉を喉の奥で殺し、代わりにスカートの裾を握った。仮面の男にそれを言うのは卑怯だと思ったし、誰かにすがりたくなかった。
「……わかった」
言いなりになるのは嫌だが、駄々をこねるだけの子供だと思われるほうが嫌だった。
「……ベッドの用意をしてこよう」
仮面の男は静かに言い、カップを持って立ち上がった。
太陽はもう、西に傾いていた。
.
最初のコメントを投稿しよう!