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1922年5月、中国沿岸部の都市「海州」で小規模なデモが発生した。
抗議内容は、海州を勢力範囲に置いていたイギリスからの待遇改善を求めるもの。
僅か100人足らずの人夫が起こしたデモなので、1日もせず警官隊とイギリス軍に取り押さえられ、解散した。
しかし、デモ鎮圧の為にイギリス軍兵士が放った一発の弾丸。
それが一人の人夫を撃ち抜き、死亡させた。
その情報が公開されると、当然の事ながら中国国民は憤り、その矛先はイギリスへと向けられた。
そして、ついに6月9日、南京で大規模な暴動が発生した。
デモではなく暴動だ。
市民は、イギリス製の商品を打ち壊し、イギリス風の建物に向かって石を投げつけた。
必然的にイギリス軍と警官隊が鎮圧に向かったが、時すでに遅し。
この暴動は、あっという間にイギリス勢力圏内に飛び火していった。
具体的に言えば、10日に杭州と鎮江、11日に沙市と宣昌、そして12日には上海である。
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