プロローグ

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特に上海での暴動は熾烈を極めた。 上海駐留のイギリス軍と警官隊は南京で発生した暴動の鎮圧に向かっている最中で、暴動を止める事ができる組織は皆無だった事もあり、参加者は数千人単位に膨らんだ。 そして、恐れていたことがついに発生した。 暴動の参加者らが、イギリス人を含む欧米人数十名を無差別に殺害したのである。 その中には、女性や子供も含まれていた。 無差別殺人は2日、3日と続き、軍が引き返してきた時には、既に数百名の欧米人が殺害され、道路のあちこちに死体が転がっていたという。 暴動は程なくして鎮圧されたが、イギリス国民の怒りは収まらなかった。 時のイギリス首相は、世論を重く受け止め、戦艦2隻を含む艦隊と兵士を上海に派遣。 同時に同盟国でもあった日本にも、治安維持のために軍隊の出動要請を申し込んできた。 数日後の御前会議で「金剛」「榛名」を含む10隻の艦隊と陸軍1個師団の派遣が決定。 東シナ海でイギリス東洋艦隊と合流した。
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