自由

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戦争集結後、国は孤児や難民などの為にあちこちに施設をつくった。しかし、他の国々も自分達を守ることで精一杯である。 当然、輸入は途切れ日本は鎖国状態。衣服、食料などが足りず、各地で食料の奪い合い、デモ、暴動が起こった。 そんな治安の悪化を見兼ねた政府は、「国家治安維持部隊」を作りそういった人々を力で弾圧していっく。 そのような統制に民衆の一部は納得せず、各地で「反治安維持部隊」を設立した。 海渡の両親もその内の組織の一つに参加していた。 そして海渡の両親は「治安維持部隊」に立ち向っていき、命を散らした。
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