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ひた、ひた、ひた、ひた。
夕闇に包まれた森の中で、重たく響く人の足音。
否、人と表現するにばそれ゙は余りにも異質だった。
どこまでも不気味な赤い肌。黒々とした髪から僅かに見える、灰色の角。
濁った黄色の瞳は焦点が合っておらず、口はだらしなく開かれている。
がさり。
張りつめた空気の中、何処からか木の枝が擦れる音が聞こえ、誰かが息を呑む声がした。
その途端、今まで何も映していなかった瞳が、ぎょろりとその方向を捕らえる。
口角がゆっくりと吊り上がり、妖しく光る不揃いな歯。
「みーつけた」
赤い腕に握られた刀からは止まることなく血が零れ落ち、ぼとぼとと不快な音を立て続けていた。
世 界 ガ 揺 レ テ
全 テ ノ 音 ハ 消 エ 去 ッ タ
暑い。いや、熱い。
照りつける日光が俺の肌を焦がすのを感じる。
光り輝く木の葉も、雲一つない青空さえも腹立たしい。
自らの寿命を認めまいとする蝉の声が喧しく、俺を余計に苛立たせる。
「たろちゃん、たろちゃん」
そんな時、か細い声が聞こえ俺の着物の裾が捕まれた。
ああ。苛々する。
不愉快さが頂点に達していた俺は、なんだ、と厳しい口調で答え鋭い目付きで振り返る。
そこには、古びた茶色の着物をさらにみすぼらしくさせた、俺の妹が立っていた。
本当ならばそのようなこと姿を見るまでもなくわかっていた筈なのに。長年共に暮らしてきた、たった一人の家族の声を間違える訳もない。
だが、苛立ちが全てを吹き飛ばしてしまった。夏になるといつもこうなのだ。
俺の態度を自分に対する非難だと捉えたのだろう。彼女は酷く怯えた様子を見せる。
その表情を見てすぐさま八つ当たりしてしまったことに後悔し、安心させるように彼女の頭をそっと撫でた。
「ああ、すまない。どうした、花」
だがすでに手遅れのようで、彼女は右手に水桶を持ち左手で口を覆いながら震えている。
「お、水。汲ん…で、き……た……」
揺れる水桶から幾つもの滴が、音を立てて溢れ落ちた。
腰まで伸びた白い髪、赤い目。
俺の妹、花は異端だった。
その為彼女は村の人から疎まれ、蔑まれ、時には酷い仕打ちも受けた。
彼女は人を恐れている。兄である俺に対しても、だ。
だからであろう。
花は、決して俺を《兄》と呼ばない。
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