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7)原爆ドーム(世界遺産)
<簡単な『原爆ドーム』説明>
もうこれは有名ですね。
他の何を知らなくても原爆ドームは皆様ご存じかと思います。
日渡早紀先生の『Global Garden』ではこことGlobal Gardenがつながっていたわけですが、現実は柵の中に入ると警報が鳴ります。
酔っても絶対入っちゃだめです。
ダメ、ゼッタイ。
その理由の予測は後で書こうと思います。
さて、この原爆ドーム。
元は『広島県物産陳列館』として建てられ、県内の物産品の販売だけではなく博物館や美術館としての機能も持っていたそうです。
その後『広島県立商品陳列所』などの変遷を経、『広島産業奨励会館』になったそうですが、戦争が激化するに従ってその役目もなくなり、内務省管轄の土木系の施設の事務所が入っただけのテナントビル的な役目になったようです。
当時珍しい木製じゃなかったから、と言うのもありますが、大分原形をとどめたのは立地が爆心地のほぼ真下だったので、縦に爆風が吹き、横からの衝撃波がなかったことで、建物は奇跡的に原型を残すことができたようです。
ただこの建物、残すか残さないかでかなりの議論があったそうです。
原爆の悲惨さを伝えるべきだ、と言う人と。
あの悲惨な体験を忘れたい、と言う人と。
長い対立が続き、最終的に1966年永久保存が決まったそうです。
実はこれと全く同じような議論を私は知ってます。
戊辰戦争で壊滅的な被害を受けた会津の鶴ヶ城ですね。
元はとても美しいお城だったそうですが、戊申戦争後砲弾のの痕などでぼろぼろになり、やはり取り壊すか、残すか、で議論になったそうです。
で、記憶が正しければその時は戦争の記憶より、立て直しをするための財政を負担する市民達からの悲鳴を受けて取り壊しを決定したのだったと思いますが、悲しいことに取り壊されてしまったんですね。
ただ後年になって(戦後ですよ戦後)もう一度鶴ヶ城の姿を復興させようと、再建したのが今の鶴ヶ城です。
だから実はあれ、元からあった姿じゃないんです。
建物としては原爆ドームより新しい(笑)
そう考えると、再建したとしても同じ物、とは限らないんだなあと思いますし、すごいもったいないことをしたなあと、その話を聞いた時私は思いました。
だから、辛い記憶はあっても残そうという決定をした当時の広島市民の方々の選択はすばらしい、と思います。
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