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神の私邸である『箱庭』の東屋へと唐突に現れたアーシェはしかし、沈んだ表情で立ち尽くしたままぴくりとも動かなかった。それは彼女が一月前の出来事を回想していたからなのであるが、頭の中など読み取れない凡人のエイダは、一体どうしたら良いものかその場でおろおろしていた。
「あの……姫」
長い、長い沈黙を破ったのは、エイダのおずおずとした呼びかけ。
「……なんだ。ボクの思い出に勝手に入ってくるな」
エイダの声に現実へと引き戻されたアーシェは、早足で東屋の中に入ってきた。どさっ、と東屋の中に設置された椅子にふてぶてしく座り、不機嫌そうにテーブルの上の紅茶を一息にあおる。
「あぁっ、僕のモーニングティーがっ……」
封印を解かれて、一ヶ月。フィオの処遇を決める会議を連日していた苦労など全く知らない、呑気な『世界の敵』ことエイダは、毎昼食に決まって紅茶を三杯飲むのが日課になっていた。
「何がモーニングティーだ、悪魔のクセして。大体朝の茶を飲む時間でもないわ」
アーシェはそう言いながらも、いそいそと二杯目を自分で注ぐ。言うだけ無駄だとよく知っているエイダは、はぁと溜め息をつくことで流した。
「あと、姫はやめろ。名前でいい。――もうボクのことを名前で呼ぶ奴も……いなくなる」
自嘲気味に吐き捨てるアーシェに、エイダは軽く首を振った。
「僕にはわかりません。どうしてあんなに大切にしていた彼女を、死刑だなんて……本当に、止められないのですか」
悲しげにうつむきながら言うエイダは物腰柔らかく、一見しても虫一匹殺せなさそうな人当たりの良い目をしている。
机に頬杖をつきながら、アーシェはエイダをじっと見据えた。言葉を探しているかのように、答えかねているのが見てとれた。
「……大切にしていたと、どうして言い切れる」
逆に問われたエイダは、答える前ににっこりと微笑んだ。
「姫――アーシェさんに封印されてから、僕、寂しくって。肉体はどうにもならなかったけれど、意識を浮遊させることはできたんです。もちろん、ほんの少しの間ですが」
「それで、覗いてたってわけ?」
「覗くだなんて!……ですが、お二人を偶然見かけた時、胸があったかくなったんです。そう――まるで、姉妹みたいだなって」
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