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――桜が、散っている。
東洋風の東屋、白木で出来た長椅子の上に、はらはら、はらはらとそれは水のように静かに降り注ぐ。
見渡す限りの青々とした芝生と、それをかき分けるようにして咲き誇る花達が夢のような風景を作り出していた。なだらかな丘の頂上に、桜の大木が一本だけ立っている。そのすぐ真下、雪のように真っ白な木で作られた東屋で、一人の男が本を読みふけっていた。
何時間前からそこにいるのだろう。屋外が好きなくせに、嘘のように真っ白な肌は陶器のような滑らかさ。太陽を反射してきらきらと艶やかに輝く、腰まで伸びた金の髪を風の好きに遊ばせていた。穏やかな笑みを浮かべながら、分厚い事典のような本のページをめくる。
「……お客人」
ふわりとした新芽の芝生を踏み、ゆるゆると現れたそれは。しかし、人の形を成してはいなかった。
毒々しい紫色の体は大きなイグアナだし、黒々とした瞳は爬虫類のくせに実に表情豊かにくるくる動く。ちろっと舌先で上唇を少しなめるのが彼のクセ。
呼ばれた男は、ようやっとその本から顔を上げた。イグアナの姿を認めるやいなや、人当たりがいいのか何も考えてないのか、気が抜けるようなほんやりとした微笑みを向ける。
「やあ、おはようございます。オルディプス」
「おはようとは、一体何時から何時のことを言うのだろうね? エイダ=フォン=トゥーイットよ」
イグアナであるオルディプスの方が、よほどしっかりした人格を持っているらしい。
言われた方のエイダは、空を見上げる。空高く鎮座する世界の女神――太陽はしかし、すでにだいぶ傾いていた。
「やだなあ、オルディプス、僕のことはエイダでいいって~」
そのことには一切触れず、視線を戻してへろへろと手を振って応えるエイダ。オルディプスの呆れたようなため息が、彼の足元を少しだけ揺らした。エイダの服装は上質な白いローブであったが、それがここの寝間着であることをオルディプスはよく分かっていた。
「とにかく、今すぐ顔を洗い心身を清め、神子衣装に着替えなさい。私の大事なお客人がいらっしゃるからね」
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