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夜はそっと、空気に藍を混ぜて濃紺を作り上げ、その色を深い闇色に染めていく。
闇空に浮かぶ半月は、太陽の影に蝕まれながらも朧に光り、星々は太古からの炎を燃やし続け、尽きる日を夢に見ながら瞬く。
街のネオンは煌めき、家々の明かりは優しく灯る。
美しい夜に映える黒曜石の瞳が、私を見つめて微笑み、薄い唇から零れる吐息はまるでそのものが愛の囁きだ。
ふと、腕時計に目を落とした私を見て、彼は少し不機嫌そうに唇を尖らせた。
「まだ時間じゃないよ」
甘い声で呟き、男らしい手で優しく私の目を覆った。
「そんなつもりじゃないわ」
「シィ、何も言わないで」
子供をあやすような囁きと熱い唇が肌に落ちてきて、熱を感じた箇所から甘い痺れが走った。
間違ったことをしている自覚はある。
こんなつもりじゃなかったと、そんな言い訳が通じるとも思っていない。
でも、時には理屈ではどうにも出来ない感情もあるのだ。
「好きだよ」
「……私も、好き」
左の薬指、そこに残る指輪の跡が白々しく、私に与えた『人妻』の肩書きを思い出させる。
後二時間もすれば、家で旦那にお帰りと言う口が、今は他の男を好きと言う。
彼の腕に抱かれて幸せを感じる胸に、嫌悪感と罪悪感が同居し、死んだ魚が浮かぶドブ川よりも、ずっと汚いマーブル模様が広がる。
延々と続く、幸福な悪夢を見ている気分だった。
目を覚ましたときにはきっと、この手に残るものなど、何もないだろう。
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