忙殺

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「ほう……」 感嘆の後に訪れるのは沈黙。 まさか己の武器を破壊されるとは思っていなかったのか、明玄は折られた錫杖の残骸を眺めるだけで動きはしない。 対する朧にも動きは無く、明玄の様子を窺(うかが)っているだけである。 「坊主ナンテ廃業シテシマエ。アンナ一撃ヲ繰リ出ス坊主ナンカニ経ヲ読マレテモ、安心シテ成仏デキソウニモナイカラナ」 心無いようにも聞こえるが、微かに笑いが含まれており、冗談めかした物だと伝わるだろう言葉を吐く朧。 それに苦笑を漏らすは明玄。 「坊主は廃業するものではなく、還俗(げんぞく)するものだ」 指摘する声からは、朧の提案を却下した時の拒絶的な音は感じられず、多少の和やかさを孕んでいた。 そして、やれやれと言わんばかりに肩を竦めてから、残骸となった錫杖を地面に落とした。 今しがた落としたばかりの柄を見れば、合掌。 十年余りの付き合いがある相棒への弔いは至って簡素であるが、極めて真摯な物である。 そこには明玄の厳格な人柄が表れている。 「還俗ヲシテクレルノカ?」 期待に満ちた問い掛けを発する朧に、それを受ける明玄。 本来であれば、還俗はそう簡単にすべき物では無い。 幕末に到るまで、還俗をした者は天皇家、武家、そして罪を犯した僧が多数を占める。 歴史上で還俗した有名な人物は、鎌倉幕府討伐で活躍した宗良親王、護良親王の兄弟。 足利将軍家からも、相続のための義教、義視。 古河公方討伐のための政知。 兄である義輝の仇討ちと相続のための義昭。 戦国大名から、東海一弓取りと名高い今川義元(弓取りは指揮の意味であり、戦上手と同義)。 織田信長をして恐れられた上杉謙信。 中国地方の覇者毛利家と渡りあった尼子勝久。 名だたる面子が揃う上、いずれも武家の者としての役目を果たすために俗世へと戻った者ばかりである。
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