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夕方特有の柔らかいオレンジ色が射し込む教室。そこには、ペンを走らせる音とイヤホンから微かに漏れる音楽があった。
「――なぁ、」
「…………」
机を並べて課題に勤しんでいたが、沈黙が重い。声を掛けるが無視をされる。そもそも、音楽を聴いているので聞こえないのかも知れない。
「そこ、違うし」
「え?」
伸びた掌で頬をつねられ、呂律が変わった。
「ろこが?」
「ここから――ここまで」
指が置かれて端から端まで走る。どうやら頁全部が違っているらしい。
「まひで!? ――ホントに?」
頬から手を離されれば呂律は戻り、同時に相手を見据えた。
「マジで。言おうと思ったけど、お前真剣だしやめといたわ」
「なんだよ、それは!」
「怒る暇があるなら、消ゴムで消せば?」
「五月蝿いですー。今やろうと思ったんですー」
転がる消ゴムを手に取れば、ノートに走らせる。ケシカスは黒く染まり散った。
「つか、さっさと教えてくれりゃあ、こんなことにはっ、ならなかったしっ」
「はいはい」
消ゴム往復は一回で終わることはなく、二度、三度と繰り返され、漸く――字がデコボコに残っているが――白さを取り戻した。
「なんだよ?」
「お前、」
イヤホンを外し、じっと見つめる。
「おねだり、したことある?」
その言葉には開いた口が塞がらない。
「おねだり? あるに決まってんだろ。小遣いあげたい時とかー、兄ちゃんにゲーム買ってほしい時とか」
「違う。俺にだよ」
「ん? お前に? あった……ような?」
「ねぇよ、んな事実は」
「そうだったっけ? 判んねぇよ、んなこと」
「しろよ、おねだり」
「なに言ってんだよ。オレは忙しいんだよ」
忘れた課題をこうして写しているのだ。見れば解るだろうに。
「ふぅん。そんなこと言うわけね」
すすっと手がノートに掛かる。
「嘘! 嘘です! すみませんっ」
謝りつつ彼は慌てて手を乗せ、奪われるのを阻止した。
「なら早くしろ」
にやりと笑うその顔はしてやったりだ。
「くそっ……」
奥歯を噛んで視線を逸らす。課題をやり忘れた自分が一番悪いが、足元を見る目の前の男も気に入らない。
――それでも。
「なんて言えばいいわけ?」
「そうだな。キスしてって可愛く言えばいい」
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