空中分離

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真っ二つに仕切られた 紙上の私の部屋。 千博くんの万年筆で 窓側に千、出入口側に結 と刻まれた。 「バイトを始めたと実家に連絡を入れてください」 「い…いまですか」 「いまです」 私は千博くんの監視の下、携帯からお母さんに電話した。 近所の本屋で働きだしたことと、月に一度給料の振り込みがあることを偽造報告した。 千博くんが差し出すカンペを忠実に読み終えた私に、 お母さんは一言 「バイトするなら本屋だと思ってた」 と苦笑した。 因みに本屋という設定は 千博くんが考えた“一番リアリティーのあるバイト先”らしい。 「よくできました 次は幾つか決めごとを設けましょう」 「決めごと…ですか」 「例えば、これ」 千博くんはメモ帳の新しいページに、さらさらと何か書き出した。 なんだかもう、 完全に千博くんのペースだな。 私は頬杖をついてその様子を眺めていた。 ぼけっとする私の眼前に 或る一文が発布された。 『侵さない、犯さない』 「あ、あの… これはどういう…」 神経質さの伺える、細い字で書かれたそれの意味を恐る恐る訊ねてみる。 「そのままの意味です 前者はお互いのプライバシーを侵さない。 後者は…説明して欲しいですか?」 私はぶんぶんと首を横に振った。 「これは僕らの基本理念です 厳守してください」 「その言葉、まるまるそちらに返します!」 彼は ふ、と笑うだけ。 次の議題に移ってしまった。 「さて、次は家事の分担ですけど…」 千博くんは気だるそうに 右手で頭を抱えた。 「料理、できませんよね?」 「し…失礼な! 決め付けないで下さいっ できますよ…ある程度は」 「意外ですね なら炊事は任せてもいいですか」 「う… けど一日中家にいるなら千博くんが…」 「男子台所に立たず という古の言葉がありまして」 「…わかりました 精一杯努力します」 「いい子です じゃあ次は…」 「年上に向かっていい子って…」 そんな感じで分担は続いてゆき、一通りの決めごとが可決した。 「じゃあ僕は買い物に行ってくるので 結和子さんは部屋に掃除機をかけておいて下さい」 万年筆を胸ポケットに入れながら千博くんは立ち上がった。 彼の全くこたつに囚われない姿勢は、驚異的な意志の強さを感じさせた。 ピカピカのキャリーバックをばこっと開き、彼は黒いコートを取り出した。
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