空中禁匣

6/13
前へ
/106ページ
次へ
玄関に立ってしばらくすると、 足音が聞こえてきた。 宅配のお兄さんが不快にならないように、念のためファブリーズをまいてみる。 ピンポンピンポン 少々間の抜けたチャイムが鳴った。 スタンバっていたことがばれると恥ずかしいので 私は少しだけ間をあけてから扉を開く。 「はーい…」 今考えるとそれは パンドラの箱ならぬ パンドラの扉だったのだ。 開かれた扉の向こうに 立っていたのは 爽やかに判子かサインを要求してくる宅配のお兄さんではなく 学ランを着た華奢な男の子だった。 「こんにちは」 挨拶をされた。 「こ…こんにちは」 反射的に挨拶を返す。 シャチハタを持って 呆然とする私は さぞや間抜けな顔をしていたことだろう。 「え…えと…宅配便?」 「ああ、嘘です」 ごく軽い調子だった。 ヘリウムよりも軽かった。 私は心底面喰らった。 餡まんだと思って食べたら 肉まんだった時くらい面喰らった。 この時の問答は、 『今世紀最大の面食らい事変』として私の胸に深く根差した。悪い意味で。 「嘘って…え? じゃ、あの…あなたは?」 「小牧結和子さんですよね?」 私の質問が水のように流されたのはさておき、この学ラン男子は実に落ち着いた瞳をしている。 「そうですけど…」 見知らぬ侵入者に名を明かす私の浅はかさたるや、眼を見張るものがある。 学ラン男子は、ポケットから万年筆―今時珍しい―と小さなノートを取り出してさらさらと何か書き出した。 私は少し首を伸ばして 覗き見ようとする。 見えない。 学ラン男子は顔をあげ ノートを反転させた。 小牧結和子 乱暴に書きなぐられているけれど、神経質そうな細い字だった。 「漢字はこれで合っていますか?」 「はあ… 合ってますけど」 「じゃあ 僕はあなたの弟です」 たった1分の間に、私の今世紀最大の面食らい事変は塗り替えられた。
/106ページ

最初のコメントを投稿しよう!

108人が本棚に入れています
本棚に追加