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『十大弟子アヌルッダの話』
15才で出家し釈尊の熱心な弟子の1人となりました。
まだまだ15才の少年です。
ある日うとうと説法の途中に居眠り……
釈尊が「そなたは信心堅固だったのにどうして居眠りをしましたか?」
アヌルッダは恐縮し「今後は身体が溶け爛れても如来の御前で眠る様な事は、いたしません」と釈尊に誓いを立て、その後、居眠りどころか夜も眠らない不眠の行を初め最後には…
自らその視力を絶つのでした。
盲目になり何十年……
立派になったアヌルッダが衣の綻びを縫おうとしましたが、どうしても針に糸が通りません。
そこで彼は呟きました。
「もろもろの世間の福を求める者よ私の為に糸を通して功徳を積む者はいませんか?」
すると
アヌルッダのそばに歩み寄ってきた人がこう言った。
「さあその針と糸を貸しなさい功徳を積ませてもらいましょう」
その声は
まさしく釈尊だったのです。
アヌルッダは驚き恐縮して平にお断りしましたが…
釈尊は、その手から針と糸を取り上げ綻びを縫ってあげました。
アヌルッダ(阿那律)
「お釈迦様?功徳は完全に積んでいらっしゃるのではございませんか?」
すると釈尊
「阿那律よ世間の人は残らず幸福を求めているが私ほど真剣に幸福を求めている者は無いのですよ……」
功徳は精神的や魂を救おうと、いった高次元の救済ばかりじゃ無く衣の綻(ほころび)びを縫ってあげる、ごくごく日常的な親切でも徳積みになる、いくら地位が高くても心が冷たい高ぶった人間や金だけの人は偉くは無いですね……
煙草のポイ捨てを止める人のゴミでも拾う。
それだけでも徳積みは出来ます。
そう、釈尊(お釈迦様)は伝えたかったのでは、ないでしょうか?
キリストも弟子達の着物や足を洗われてました。
固辞している弟子達にも「あなたの足を洗わないと、あなたと私の関係は無くなる」と言われました。
実に含蓄のある言葉だと思います。
ケシの実・琴の絃や、いろんな釈尊の教え、しかり……
自ら悪を成すならば自ら汚れ自ら悪を成さないならば自らも浄まる浄いのも浄くないのも各自の事柄である。
結果全ての原因は自分にある。
他人は悪く無いのもです。
と語る私も、まだまだ未熟者……
一緒に浄めて行きませんか?
約1250人の弟子を持ち、なお自分も浄め進んだ。
お釈迦様は偉大です。
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