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「だけどな、俺はあの『魔物』のお陰で、生まれ変わる事が出来たんだ。だから今は、嘘なんてつかない。嘘なんか、必要ねえんだ」
おかしな事を言う。
リアルがひしめくこの現代社会に於いて、『魔物』などという陳腐な単語を耳にするとは。
しかも、その『魔物』のお陰で、『嘘』をつかなくなった、だと?
『魔物に出会った』などという滑稽な話自体が、『嘘』ではないのか?
──狂っている。
佳緒莉の思考がその答えに到達した途端、俄かに恐怖が沸き起こった。
雑多にひしめく公衆の面前で、刃物を所持した異常者に拘束されているという、この現実。
通常ならば、即座に持ち得ていい感情が、麻痺していた。
佳緒莉の身体が恐怖で震えたその瞬間、その『声』が聞こえた。
「──佳緒莉!」
彼女を取り巻く雑踏の中に、最愛の婚約者の姿が見えた。
複数の警官の制止を振り切って、彼がこちらに駆け寄ろうとする姿が見える。
佳緒莉も、背後の拘束に抗い、婚約者の名前を絶叫する。
刃物の男が、舌打ちと共に、聞き慣れぬ言葉を発した。
「アンタ、『黒』の方かよ。じゃあ──」
佳緒莉の髪が、物凄い力で掴まれ、背後に無理矢理振り向かせられる。
この時初めて、彼女は狂人の顔を間近で確認する。
──あれ、この人。
この人、何処かで。
「やめろおっ! 佳緒莉ぃっ!」
恋人が、自分の名を、再度叫ぶ。
その彼の叫びを上書きする様に、彼女の髪を掴む狂人の声が、佳緒莉の脳に、直接入り込む。
「──ソウル・イーターの方だな」
その瞬間、佳緒莉の眼前に、漆黒の魔物が、姿を現わした。
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