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「…、恭介?」
「うん、…うん。
大丈夫、今歩いてるとこだから…」
「もうすぐ着くよ」
ポケットの中で震えたマナーモードにしていた携帯を手に取って、その相手が誰なのか確かめる頃にはもう、随分気持も落ち着いてきていた。
さっきの電話からもう、一時間も音沙汰がないから心配したのだと、携帯の向こうで友人が膨れ気味で文句を言う。
「ごめんって。ほんとにすぐ行くから。
もうちょっと待ってて」
何度もごめん、と心配させた事を謝りながら、腰かけていたその場所から立ち上がって目的の方向へ足を向ける。
通い慣れた駅までの道。
3年近くも一緒に住んでいて、2人で歩いた事は数える程しかなかったけれど。
---そっか。
一時間近くもこんなとこで座ってたんだ、僕。
駄目だな。
早く行く。
と言った割には足取りが重くて、角を曲がる前にもう一度だけ、振り返って見上げた。
さっき別れを告げたばかりの、今日まで住んでいた部屋を。
思い出が詰まった部屋を。
後ろ髪惹かれる想いで。
あの人の部屋の明かりだけが灯る、2人の部屋だったその場所を。
カーテンが揺らめいて、垣間見えた人の影。
奥歯を噛み締めて涙を堪えて、今度は足早に角を曲った。
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