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「大地のケチ」
「しつっこいなぁ、お前」
何度も行かないと言っているのに引き下がらないソイツ。
服の袖を掴んで軽く引いて、まるで駄々っ子の様に一緒に来いと繰り返すその姿に、どんだけ寂しん坊なんだよ、と喉元まで出かかった言葉は飲み込んだ。
そんな事を言えばコイツの事だ、調子に乗って、夜は暗いし寂しいし一人じゃ歩けない、とかなんとか成人間際の男子にあるまじき事を言い出すに決まってるだろうから。
「ねー、大樹ぃ。
てか、大地ー」
「あのなぁ、」
『大地』、と呼ばれてぴくりと耳が反応した。
そんな必要もないのに何と無く店に行かなければならない気分になるのはもう、条件反射みたいなものなんだろうか。
「だーいーちー、」
源氏名、とでも言えば良いのか、あの一風変わったバイト先にはそんなものがある。
成りは只のバーの癖に。
オマケに指名制まであるんだから入った時は驚いたが、過去を踏まえたトラブル防止と説明され、慣れればこんなものかとその風潮に次第に染まった。
『ダイチ』は店での自分の名前で、コイツは『ミズキ』。
名前は入った時に店長が気分で決める。
俺の名前は本名を一文字捩っただけ。
他の奴はどうだか知らないし、別に理由なんか聞かなくても支障が無いから聞いた事もない。
他には、『アオイ』『サクラ』『ツバサ』。
それと店長代理で本当に稀に入る『ユウト』。
全部で7人で店を回している。
コイツがさっき『自分の名前を知っているか』と聞いたのは、本当は『本名を知っているか』と言ったのだろう。
知る訳が無い事を分かっていて。
人と関わったり、生活するのに支障の無い事柄には興味が無い。
誰の誕生日だのどこ出身だの家族構成だの、恋人はいるのか何処に住んでいるのか。
別に知らなくても話しは出来るし盛り上がれる。
知りたがらない事、聞いても忘れる事。
それを『冷たい』と人は言う。
けど、仕方ないじゃ無いか。
興味が無いものは無いんだ。
そんな俺が、唯一知りたいと思うのは、下らない世間話でさえ全部覚えていたいと思うのは
幸也の事だけ。
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