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「違う違う」
夏子は声を荒げて言った。
あまりに彼女が興奮して言うものだから、周囲の学生が、何事かという眼差しで、僕達の方を見た。
僕は恥ずかしくなって、夏子に少し落ち着くように言ったが、彼女の興奮状態は決して治まることはなかった。
夏子は声のトーンを変えることもなく、言葉を続けた。
「私はね、あの曲が、人を惹き付ける何か素晴らしいものをもった曲だということはわかっているの。それは絶対に間違いのないことだわ。もちろん、ショパンやリストみたいな、歴史に名だたる有名な作曲家の曲と比べようなんてことは思わない。だけど、間違いなくあの曲は素晴らしい曲なのよ」
夏子はそう言って、小さくため息を吐き、次に繋がる言葉を探すように少しの間を開けてから、再び話し始めた。
「私は徹夜までして、何度もあの曲を弾いてみたわ。だけど、何度弾いても、どんな弾き方をしても納得がいかないの。何かが足りないのよ。こんなことって、はじめてだわ」
夏子はそう言って、今度ははっきりとわかるほど大きなため息を吐いた。
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