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一陣の風が、美津子を襲った。美津子の長くきれいな黒髪が、あたかも泳ぐ人魚のそれのように、優雅に後ろになびく。
しかし美津子は微動だにせず、遙か眼下の風景を、ただただ眺めていた。
のっぺりと横に拡がる、きれいに四角形に区分された街並み。遠くでは、それを囲むように大きな山々が連なっていた。所々に場違いな高層(中層?)ビルが建ってはいるものの、それを除けば、まさに古都京都と言うにふさわしい〝絵〟であった。
ここは、美津子の父にあたる、遠藤グループ会長、遠藤仁の所有する、条例違反ぎりぎりの高さを誇る高層マンション屋上。美津子は悲しいことがあるとよくここを訪れていて、自らの病を知ってからというもの、その回数はさらに増えていた。
美津子は、脳では全く認識していない風景に視線を置きながら、前日最愛の男性に問いかけた、意地悪な質問について考えていた。
「天国と地獄って在ると思う?」
意地悪……そう、全く意地悪な質問だ……と、美津子は思った。
美津子自身、どちらと答えて欲しかったわけでもないし、かといって、美津子の病のことを知っている彼が、正直なことを答えてくれるはずもない。さらに、どちらと答えても、美津子も、そして彼も間違いなく苦しむのだから……。
と、美津子は少し後悔しながらも、やはり彼の言葉が嬉しかった。
「絶対に在る」
美津子に同意して、さらにきっぱりと言い切った彼の優しさは、美津子にとって、本当に……本当にかけがえのないものであった。しかしそれは、もうじき、その彼の優しさと……彼自身との永遠の別れがくることへの、狂いそうなほどの焦燥感を増幅させた。
結局は二人ともが、苦しい思いをしただけであった。彼がどう答えたか、美津子が何を訊ねたかは関係ない。思い出が増えれば増えるほど、別れの苦しみも増えるのだから……。
美津子は、日に日に透明感を増していくコスモスの花びらのように白い指で、自分のお腹をさすった。
「御免……許して……」
そう、美津子はまだ学生であるにもかかわらず、子を宿してしまっていた。当然愛する彼との子供だが、彼女の体が予定日(そもそも産まれる予定などあるはずもないのだが)までもつ可能性はゼロであった。
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