8783人が本棚に入れています
本棚に追加
/242ページ
次に正常な思考を取り戻したときには、テレビは消されていた。
……夢? そうだ、そうに違いない。
男は自分にそう言い聞かせようとした。しかし、そうする度に目から溢れでる涙が、彼女の死が現であることの何よりの証だった。
男は次の日届いた彼女からの手紙を、何十回、何百回と読み返した。そこには、別れの言葉になるであろう男への一言が、いや、男のことについてすら、何も書かれていなかった。そのせいもあってか手紙を読み返す度に、自然と最後に会った夜に聞いた美津子の声が男の心に蘇る。
「死後の世界って在ると思う?」
あの時、自分に嘘を吐いて「必ず在る」と応えたことを、男は深く後悔している。
あの時、自分が「あの世なんて無い。死んだら終わりだ」と言っていれば、彼女は自殺なんてしなかったかも知れない。彼女は、そう言って欲しかったのかも知れない。もしそうであったのならば、彼女を殺したのは、……俺だ。
男は美津子の転落死以来、そう自分を責め続けていた。その度、男は自殺を考えた。しかし、それを実行することはなかった。
男は幼い頃に母親を事故で亡くして以来、神というものを一切信じていなかった。美津子の死を迎えた今は尚更である。
もし神がいるのなら、良いことばかりをした人が、なぜ現世で幸せになれないのか? 現世で幸せになれないで、何の意味があるのだろうか? ……なぜ、優しい母が……愛する美津子が……神なんて、いるはずがない!
そんな男にとって「死」とは全ての終わりを意味する言葉であった。だから、男は死を選ばなかった。死んでも、彼女に逢えることはないのだから……。
最初のコメントを投稿しよう!