3.雷鳴

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『パリが哭いた』 僕の演奏した『ユーモレスク』に世間様が付けたキャプションだ。 他にも、『ブラッキン生涯最高の演奏』だとか、『至宝のユーモレスク』だとか色んな言葉が世界を駆け巡った。 それと同時に『子供が死んですぐにあんな明るいパガニーニが弾けるなんて』や、『こんな時に“最高の演奏”?ふざけてる』というような言葉も世界を飛び交う。 僕自身は、子供の死という経験から得たインスピレーションを演奏にするという、人として最低な行為をした自分が嫌で、演奏会の後、強制的に入院させられた病院のベッド上で、点滴がポタポタと落ちるのを苦々しい思いで見ていた。 そう言えば、子供の頃から“ヴァイオリン馬鹿”だの“悪魔”だの散々言われてきた。 それでもヴァイオリンを止めなかったのは、別に大層な理由があるわけではない。 ただ弾かずにはおれなかったからだ。 ヴァイオリンの音には魔力がある。 音楽にも魔力がある。 ヴァイオリンに出会った小学生の時に、僕はヴァイオリンの悪魔に取り憑かれてしまったのだ。 ビジネス的には、演奏会のライブ録音の販売はないのか、また『ユーモレスク』の録音予定はないのか、などの問い合わせがG社やルドに殺到した。 でも「全て無し」という事で、否応なしに世間の関心は本番に向かう。 フランス各地で本番があったけれど、聴衆の目当ては今やアンコールの『ユーモレスク』になった。 でも僕はどうしても弾く気になれず、失望を隠さない聴衆の面前で他の曲を弾く。 そしてそのうちアンコール自体を弾かなくなった。 そんな僕に世間は集中砲火を浴びせる。 『アンコールを弾かないなんて聴衆を愚弄している』 音楽雑誌の発売まで待たずとも、インターネットにリアルタイムに情報が流れるから、瞬く間に『傲慢なブラッキン』という図式が出来上がった。 ホテルのロビーで、空港で、駅で、コンビニで……どこにいても携帯電話のカメラを向けられる。 すれ違いざまに「バカ」と言われる。 それでも演奏会はどこも満員御礼だ。 聴衆は演奏に熱狂し、アンコール無しに失望……これを繰り返す。 いっそのこと、見放してくれればいいのに、と思う。
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