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陛下は柔らかく微笑まれたまま、藤棚の下を示される。
紅い毛氈が敷かれただけのそこは陛下が座られるには不充分なものだったが、あまり頓着ならさないらしい。
難しい、距離だと思う。
母と娘。
言葉にすればそれなのだが。
血も繋がらない、会ったのは初めて。
大切に思っている、とか。
いつもありがとう、とか。
軽い言葉を積み重ねて築いてきた関係ではない。
逆に、何も言わなくても示さなくてもいいように見えた。
確かなものはある。
端から見れば忠誠とか束縛とか服従。
けれど、市井の薄っぺらさはない。堅くて、冷たくて、だからこそ強い。鎖のような絆。
私は沈黙を纏ったまま、毛氈に腰を下ろした。
陛下も同じように紅に体を沈めた。
暫し、見つめ合い陛下の口から出たのは意外な言葉だった。
私の頭の中を覗かれているような、不思議な気分に陥る。
「そなたは吾(あ)の娘でしたね」
「そういうことになっております」
些か不適切な答えかと顔を窺うと、微笑をたたえたままの玉顔。
「ならば吾は娘に無体を強いた酷い母親ですね」
北での戦のことだと思った。
ほぼ一騎駆けに等しいそれが、陛下の耳に入らないはずがない。
私は陛下の真意を探れずにいた。
分からないときは分からないというべきだ。私は、基本的な疑問を陛下にぶつける。
「陛下も迷われるのですか?」「皇帝は迷いません」
その意味はすぐ分かった。
言葉にしないからこそ伝わるものがあり、本当はそちらのほうがうんと大切なのだと、私も既に知ってしまっていたから。
「申し訳ありません」
「先に謝らねばならぬのは吾のほうやもしれません」
陛下が視界を紅くされる。私は黙って真似をして俯いてみた。そうしたら、陛下もはなしやすいかもしれないと思ったからだ。
「お話下さい。聞きます。母上が、陛下である限り。私が皇女である限り」
私なりの、誠意だった。
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