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「いえ、ただ壁が冷たいのが気持ちよくて」
言い訳をしているようで顔が恥ずかしさで赤らむ。
「いやいいんですよ。つい声をかけてしまっただけですから」
男は肩をすくめた。
特に他意はないようだ。
むしろ買い物袋を重そうに抱え、早く家にはいりたそうにしている。
「あの、ここって赤坂町五番地ですか?そこを探していて」
男は驚いたように目を見開いた。
「はい、ここですけど五番地といったら僕の家と田んぼしかありませんよ?」
加奈子は黙りこんでしまった。
メモに従い、ここまで来たはいいがどうすれば良いかわからない。
もしかしたら赤坂町に来たら記憶が戻るかもしれないという淡い期待は消え去った。
「大丈夫ですか? とりあえず家にはいりませんか? ちょっと肌寒いですし」
男は重苦しく連なった雲を見上げながらわざとらしく身を震わせた。
加奈子は何も言わず男の後ろを歩いた。
他に行く宛もない。
男は買い物袋を肩に乗せ器用に家の鍵を開けた。
家の中は男の性格が透けて見えるようであった。
靴はきっちりと揃えられ行儀よく靴棚に納まっていた。
部屋に連なる本棚にはよく手入れが行き届き埃一つないようにさえ見える。
ここからは判断がつかないがおそらく五十音順か作者順にはまとめられているだろう。
「汚いところですみません。僕はいつき、よろしく」
いつきは靴棚の上に転んでいた小人の人形を立たせた。
「私は加奈子です。家にまで押し掛けてしまってすみません」
男はそれには答えず微笑むと居間へと案内した。
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