僕らはどうして?

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1980年 この年僕らは生まれた。 たしか、チャゲアスのデビュー曲「ひとり咲き」もその当時だった。僕らは保育園からの幼なじみで、家も100㍍位しか離れてなく、気が付けば 友達だった。保育園の頃の私はいわゆる破天荒なやつだった。当時は鼻炎がひどく、黄色い鼻糞をほじってはいろんな奴につけまわして悪行を果たし、その園児達のトップに君臨していた程だ。 その黄色い鼻糞を付けて泣き出した最初の奴がまさかその時、今も友人なんて思う訳もなく、おもしろがって付けまくっていた。 その当時の友人は生まれた頃は未熟児でなんとか命を繋いで生きていたらしい。その為、家族にはとても大事に育てられたと聞く。 だが、しかし、 ある日、保育園の帰りに母親は気が付いた。大切な我が子の肩に得体のしれない黄色い物体?いやこれは例のやつだ。 まさか!? イジメ!? と、思う用になってから日に日にその黄色い物体が増えてくる始末。 と、ある日に、初めて友達を連れて来た。 それが私である。 すぐにバレてしまっていた。私が黄色い物体の物の正体だと。 なんと、陰口である。 余りに甘やかしすぎたのか、黄色い物体の張本人を連れて来ると言ってあったのだ。しかし、怒る様子はなく、優しく接っされた。それからはほぼ毎日って位遊びにいっていた。私の住んでたマンションは当時から古く、ペットにゴキブリ!?って位の勢い位の数がいた程の家だった。いろいろ対策を行ったが今までで1番取れたのは以外にも、親父が飲み残したビール瓶だった。朝、居間の角にビール瓶があったので、捨てようとした。 よく見るとビール瓶の中でかなりの数の奴らがうごめいていたのだ。 触角を掴む事の出来る私でさえそれは気持ち悪かった。どぶに捨てようと思い、どぶの穴の開いている所にビール瓶を逆さにした。その時の映像は余りにもショックで、今でも、スローモーションで思い出せる。「グロテスク」という言葉に1番適している映像だった。 言葉にしたくないので後は想像に任せよう。 奴ら=ゴキブリVS私の話しは今後も出てくるので読んでしまう前に注意しましょう。 ではでは戻って、 保育園での話しは後は覚えてないので、次、小学生に行きます。まあ、保育園からまるまる0才から今に至るこの30年友人ってのもなかなかいないって思います。
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