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いつの時代か知らない、大昔。
まだ、背中には猿の名残はあるが、人類とそれとが分裂した頃。
ここにも、愛する人を失い、途方に暮れている人が居た。
その人は、彼女が起きない事を不思議に思いつつ、彼女が目覚めるその時を待っていた。
けれど、来る日も来る日も彼女は起きて来ない。
それどころか、愛する人は形色を変え、異臭さえ放つ様になった。美しい彼女の体のあちこちに蛆が這い、羽化した小蠅がその周りを旋回した。その羽音は、まるで彼女には似つかわしくない騒々しいものである。
彼女は、既に彼女ではなかった。
男は漸く決心したように、変わり果てた彼女を、いつもより優しく、恐る恐る抱き上げた。
しかし、彼女はもはや形すら留められなかった。ぬるり、と躰の一部が溶けるように崩れる。中身すら、原型を留められずに、散乱した。蛆がボタボタと地面に落ち、収縮運動をしながら体をくねらせている。小蠅は一度は驚いたように虚空に魔ってみせたが、すぐに肉片にすがりついて、その肉汁の舌鼓に励む。
激しい腐敗臭が小屋に立ち込めた。
男は眉間に皺を寄せ、「う゛ぅ…」と低く呻き、身震いと共に、誤って彼女を手放した。
ぐしゃり、と力無く、それは落ちた。
彼女は、既に彼女ではなかった。
その時、男は、漸く自分との"区別"を覚えたのだ。
男は泣いた。
泣いて、泣いて、泣きながら、その変わり果てた彼女の躰を、近くの小川まで持って行き、今一度水で清めた。
彼女の崩れ落ちた内部や、一部、寄生虫らは川底にんでいったが、それは彼にとってもはや不要の物だった。それは彼女ではなかったのだ。
男は小屋の裏の柏の木の下に、彼女が入る位の穴を掘って隠した。
1人じゃ寂しがるだろうと、彼女の愛した花と、土人形と、食べ物、それから自分の髪の毛を切り落とし、共に添えた。
そして、その上からゆっくり、静かに、土を被せていった。
彼女が見えなくなると、男は再び泣いた。
その夜、一人になると、
男は再び泣いた。
ただ、その日の夢だけは、とても幸せだった。
君と過ごした日々……とても幸せだった。
君と過ごした日々……とても幸せだった。
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