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沙璃華はこの男に怒りをぶつけるつもりだったが、ティッシュで鼻と口が覆われていて、しかも子供がいたんじゃ思うように怒れなかった。 男は弁償って言った。 弁償って何? 沙璃華の曲がった鼻を弁償してくれるというのか。 曲がった鼻? いやいや、確かに沙璃華は鼻曲がりかもしれないが子供が御遊びで使うボールくらいで鼻がねじ曲がってしまうようなヒアルロン酸鼻じゃない。 つまり整形鼻じゃない。 「くっそぉ」 再び心の中で舌打ちした。 「お姉ちゃん、大丈夫?」 子供がおそるおそる聞いてくる。 そう、恐る恐るだ。 それくらい沙璃華は怒りを顔に出していた。 心なしか空模様まで不機嫌に変わってきた。 「大丈夫よ、今度は気をつけてね」 満面の笑みで沙璃華は言った。 よく見ると男の子はボールを手に持っていた。 泥だらけのサッカーボール。 「このヤロー、わたしよりボール優先かよ」 「え?」 しまった、心の声が洩れた。 左手で沙璃華は自分の頬を触った。 何かついている。 取ってみるとそれはサッカーボールについていたのとやはり同じもの。 泥だった。 「すみません」 男は再びそう言うと今度はポケットからハンカチを出して沙璃華の頬を擦った。 「ちょっ」 このハンカチ濡れてやがる。 「やっ」 沙璃華はハンカチを振り払った。 ハンカチが男の子の体に当たって張り付いた。 「あっすみません。さっきトイレ行ったときに息子がびちゃびちゃの手を拭いたやつでした」 「なっ」 沙璃華の顔が引き攣る。 沙璃華ははたかれて赤く腫れた頬を撫でるように自分の頬を優しく覆った。 この男、どこまで正直ヤローなんだ。 悪気ないのか。 ひどい。 涙が出てくる。 いや、鼻がツーンとして涙が出ただけだ。 男があたふたとしはじめた。
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