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疾風のように走り、降り下ろされた凶器を抵抗せずに受け流す。
受け流した次の行動は実にシンプル。
体を捻り、脇腹を斜め下から突き上げる。
人体というのは横が異様に弱いのである。
理由としては皮も肉も骨も真正面からの抵抗で作られている。
つまり横から、というのはあまり考えられていないのである元来。
だからこそ私はそこを突く。
実践に卑怯もなにもない。 何も知らない第三者から喧嘩と言われればそれまでであるが実践型の武術家からすればソレは明らかに語弊があるのだ。
喧嘩というのは止められる欲求である。
例えば食事をした後にケーキが食べたくなる。
こういうのは〝間食〟と言い、抑えようと思うならば抑えられるモノである。
一方、実践というのは意識するモノである。
歩く、という動作にしても色々とある。
ダレて歩く。 引きずりながら歩く。 カカトから地面を踏む歩く。 ほぼ同時に接地する歩く。
それは多種多様であり、数えたならばキリがないのである。
そして私たち武術家という人柄は必ずしも日常生活に於いても一つ一つの動作を意識するのである。
そうした結果が武術の動作へと流れ込んでいく。
私はソレを実感した。
だからこそ私は実感したその日から絶え間なく意識し続けた。
『基本は技を超える』
父さんが言っている言葉である。
何をするにしても大概の人は技や技術に目がいきがちである。
勿論、それが悪いとは私は思えない。
思えないが重要性は格段に基本の方が上である。
『基本なき動作に意味なし』
これが私の信じる一つの答えである。
よって意識していない人間と意識をしている人間の間には動きに大きな差が出る。
癖、と言ってもイイ。
そういったものは見つけられると明らかなまでに突かれる。
癖は直すのに膨大な時間を要する。 それもそうだ。 今まで自分の体に覚え込ませた動作を直すのは苦難そのものである。
それでも気付いて意識するのと意識しないのは格段に違ってくる。
つまり私が多人数な筈なのに圧倒的優勢なのは全員の癖を突いて、効率良く圧倒しているからである。
それが私の武術を始めて九年間の答えである。
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