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◇ ◇ ◇
「どうして、こんなことを」
「ふふっ、貴方なら……絶対、来てくれると思った」
(そう、信じていたから)
もう既に感覚すらない手を今にも泣き出しそうな青年の頬に伸ばし、少女はにこりと小さく微笑んだ。まだ青年の温かな体温が手を伝わってひしひしと感じるだけ、幾分マシだろうか。
それと同時に痛いほど流れ込んでくる青年の心情に、困ったように微笑むしかなかった。
痛覚はとうに麻痺したようで、痛さは全く感じない。
そして地に横になる肢体の感覚も、徐々にその末端から失われつつある。
青年の頬から感じられる温かさとは対称に、氷のように冷たくなった手をぼんやりと眺めながら、少女はふと目を閉じた。
「懐か……、しいな」
「な、にが?」
「こうしていると、初めてあな……たと、出逢った時のこと、……思い出して」
「! ……っ」
(どうしてこんなっ……!)
荒い息を吐きながら顔に柔らかな笑みを浮かべて虚ろな瞳で青年を見上げる少女の姿に、青年はたまらず少女を抱く腕に力を込めた。少女に最早温もりは微かにしか感じられず、一つ一つ実感させられる現実に思わず頭(かぶり)を振る。
信じられなかった。
つい昨日まで目の前で――…否、自分の隣で慈愛に満ちた笑みを浮かべ、蒼穹に祈りを捧げていた筈の少女がこのような末路を辿るなど。
一方少女は息をするのさえ辛いのか。
顔を僅かに歪めながら弱々しくもう一方の片手で青年の胸元を掴むと、小さく咳き込みながら口の端から赤々とした鮮血を流した。
(そんな顔、してほしく……ないのに)
「なか……、泣かないで?」
霞んでいながらも悲痛の表情を浮かべている青年を見ながら少女はふと思った。
自分の冷たくなっていく手を掴み、必死に語り掛けてくる青年の姿にどうしようもないくらい笑えてしまう。
こんな表情もするのだな、と。口の端から伝う生温かな“もの”を感じながらガタガタと寒さで震える唇を動かして肺に空気を送り込む。
何か声を掛けようと思うも、既に思考すらままならない頭では何も考えられず、少女は徐に天を仰いだ。空へと吹き抜けとなった天井から覗く淡い光を放つ満月が今日はいつも以上に美しく、そしてすぐにでも闇に消え入りそうな儚げさが漂っている。
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