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『居なくなったアイツ』とはもう待ってもいない過去の恋人。ある日突然、泡みたいに消えてもう何年になるだろうか。長い間一緒に居たこともあってショックもそれなりに受けたが、今はどうでもいいことなのに。
「別にアイツのことなんて、今となってはどうでもいいことだよ。というか、見ようにも姿を表してくれないし」
「それは嘘だ」
「何でそんなこと分かるんだ」
「そんなの分かるだろ!?アイツと暮らしてたこの部屋を引き払わないのだって、アイツの残していった指輪を捨てないので身に付けるのだって全部アイツが忘れられないからなんだろ!」
彼は私の胸ぐらを掴み着ていたワイシャツを引きちぎる。飛んでいったボタンが床を転がっていく音が耳に響く。
私の胸元に光る銀の指輪は、自分がはめるには大きすぎて仕方がないからチェーンに通して首から下げていた。どんなときも肩身離さずに。
男がチェーンに指を絡めると鎖の擦れる冷たい音を奏でる。
千切られる。
そう思ったら体が強張った。
「ほら、あんたはコレに執着してる。俺にコレを奪われるのを怖がってる。どうでもいいなんて嘘だ」
「…怖がってるわけないだろ。くだらないこと言ってないで早く上から退いてくれないか?」
重たい、と不満を洩らすとチェーンを強く握られた。こいつの力なら細いチェーンは千切れてしまうだろう。
「話をそらそうとするな」
「そんなことしてない」
「じゃあ嘘つかないで理由を聞かせろ」
「なんの」
「…本当に千切るぞ、コレ」
深い溜め息。千切られるのも嫌だが、たぶん首に傷が着いて痛い。痛いのは好きじゃない。
「じゃあはっきり言うが、部屋を変えないのは家賃安いわりに広くて居心地いいから。指輪はデザインが気に入ってるし、結構高いんだよ。簡単に捨てられるか、勿体ない。…これで納得しろ」
「…認めてるのか、それは?あんたがアイツの事忘れられないって」
「………さぁ、どうだろう?」
私は笑ったけど、いつもみたいに笑えた気がしない。だって、いつもよりずっと渇いていて、いつもよりずっと悲しそうに聞こえたから。
どうしてこんなに声が震えそうなんだろう。
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