気負う必要はない

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男は、深呼吸をして言った。 「これで…終りにしてほしい」 汗ばむ手に、大きな旅行鞄を握り、東に向かって突き出す。 罪悪感が男の背を撫でる。 東は無言のまま、手を延ばして来た。 高価なコートの きぬ擦れの音が冷たい。ひどく耳障りだ。悪寒がはしる。 黒いコートの袖口から、対照的に 東の白く骨張った手が覗く。 男の手ごと、包むように鞄を受け取った。しかし、男の手は離させない。 東の手の力の強弱が男にも伝わる。 中身の重さを量っているのだ。 こいつの、この手が… いったい何人 危めただろうか 考えただけでも身震い、男は手を引っ込めようとした。 しかし、男が東の手から逃れたのは ほんの一瞬だった。東の白い手が、男の手首をしっかりと捕らえていた。 旅行鞄がその場に落ちる。ドスン…と鈍い音が響いた。
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