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籠輿の外れ――、
「綿羊館、」
男の顔が、卑屈に歪んだ。
馨の瞳に宿った光が、冷ややかに陰る。
嗚呼、アレは、
"嘲りの笑みだ、"と――。
耳障りな哄笑が溢れ、粗末な世界を震わせる。
「売女の手の者が、俺に何の用だ? わざわざ忍び込んでみせたのか。
ハハッ、どうやら、あの色欲魔も救いようもなく手癖が悪いらしい。
ハツ、ハツ、早く来ないか。泥棒猫が忍び込んでいるぞ!」
呼び掛ける。
半ば、金切り声に近い。
何処へ?
――何処カヘ。
コンナニモ、
"狭イ空間ノ何処ニ?"
馨は、すうっと目を細めた。
「初瀬嬢は、いらっしゃいませんよ」
男が、訝しげな瞳を上げる。
「蛾座見(がざみ)には、朱燈(あけひ)嬢がいらっしゃる。遊女たちに人望の厚い、朱燈嬢がね」
アケヒ――、あの女は、
"俺を疑っていた"
だからこそ、あまり蛾座見には近付かなかったのだ。
入れた遊女が少なかったのも――、
「生憎、朱燈嬢はわたくし共の、かつての顧客でしてね。事の次第を伝えたところ、快く協力してくださいました。この地区は、朱燈嬢の天下ですから、」
"あの男に関わった娘なら、全員知っています。
蛾座見は被害が少ないとはいえ、我が方も今回の件は憂慮しておったところ……。
説得してみましょう。
――難しいですって?
そんなこと、関係ありませんわ。
わたくしはこの蛾座見を知り抜いておりますからね。
それに、――"
ラシャメンサマノ願イトアッテハ、無下にデキマセンモノ、
「初瀬嬢も、最後には納得しておられました。
さぁ、これで」
馨の瞳が、うっすらと細められる。
紅を塗った口許が、
"嗤っていた"
「逃げ道は――なくなった」
背後から、盛大な音が上がる。
粗末な引き戸の前、ひび割れた壁に背を預け、ひとりの男がにや、と笑っていた。
書生風の出で立ちに、似合わぬ卑屈な笑み。
そう、"アレ"は――、
梶井正久、
声が震える。
「梶井君、君はいったい――、」
角度によって垣間見える生身の眼球が、嫌と言うほど鋭く感じられる。
「ふふ、ふつかぶりですか、脇村サン。
どうです?
信じた者から裏切られる気持ちは。
嗚呼――そうそう。僕は貴方と、"ビジネス"の話をしたんでしたっけ。
あんなに食いついてきたということは、金はとっくに尽きたのですか。"アレダケノ大金ヲ"
残念ですが、僕は貴方の同業じゃあない。
貴方の尻尾を掴むため、入り込んだだけなのですよ」
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