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彼の手が、ゆっくりと引き戸にかけられる。
入り込んで来た眩しい程の陽光が、シルエットを際立たせている。
爛々と、憎しみに輝く瞳。
男の横を過ぎ去った馨が、最後に少しだけ、微笑みを残して消えた。
「あ……、」
その口許が引き結ばれる。
「明日香――」
「御久し振りですわね、脇村サマ。
いえ、ヤイチさま?
大金を手にした割には、ひどい生活をしておいでですわね。ねぇ、」
"ヤイチサマ?――"
「うわあああぁっ!?」
大声を上げると、窓際まで飛び退く。
「悪かった! そんなつもりじゃあなかったんだ。君は、他の女どもとは違う。俺は君を売るつもりはなかったんだ。本当に一緒になりたかった。その証拠に――、」
男の目の前に、光沢のある茶褐色の物体が落下する。
よくよく目をこらすと、あの鼈甲細工の櫛だ。
「えぇ、それは疑いようもありませんわ。だって、貴方のような人が、"単なる商品としての女"に、このような高価なものを買い与えるわけがありませんもの」
「じゃあ――!」
「"嗚呼、これは、少女たちの操から得られたものだったのですね、"」
女――明日香は、苦しげに顔を歪めた。
"それに、"
「アタシも汚れてしまいましたし、」
「そんなことは関係ない!」
脇村が、縋る様に明日香を見上げた。
「金を手に入れたら、買い戻すつもりだったんだ。なぁ、明日香、一緒になろう? 今度こそ幸せに――」
「関係なくはありません!」
ざらり。
空気がざらつく。
とげとげしくのたうち回る。
「アタシと一緒になって、どうするというのです。また女を騙して、手に入れた金で暮らせと?
それに何より、アタシも身体を売ってしまった。
貴方は"関係ない"とおっしゃいましたが、社会的には"ありますでしょう?"
笑われて、後ろ指指されて、卑屈に生きて行かねばならない」
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