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彼には愛されるべき妻がいたのです。彼女は美しく、上品で気高い……けれど同時に儚くもありました。しかし、彼はそれに気付かなかったのか、はたまた眼を背けたかったのか、彼女の見え隠れする涙を拭くことはありませんでした。
私はこのよう彼女を語っておりますが、実際会話はおろか、会うこともありませんでした。なぜ知っているかと問われると答えに詰まってしまいそうです。知らず知らず、彼女の様子を掴んでいたのです。
彼女は彼の好みとは程遠い気がします。身なりは質素で、言動は謙虚。ある日喫茶に寄った二人は同じ珈琲を頼みました。ウェイトレスに頼むのも、お金を払うのも、全て彼でした。これは傲慢だからではありません。彼女は彼からいただいたものは、言葉も含め、ありがたく頂戴するのです。そんなようにまるで自我のない彼女なのに、彼の好きな我が儘でないのに、彼女が笑うと嬉しそうにはにかむのです。
そうして彼が私と彼女を行き来する内、彼女の涙を拭くことなく、ついに彼は彼女のもとに帰ることはなくなりました。
だって、私、彼に好かれたかったんですもの。彼は言っていたじゃない、我が儘で自分勝手な女が好きだと。言っていたじゃない。だから私、彼のために我が儘になったのよ?」
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