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警官は、笑顔をうかべている。
「すいません。事件が起きましたのでご協力おねがいします」
その警官の背後では、さらに二人の警官が顔を寄せあって、
「おい、この車のナンバー‥」などと、わざとらしく聞こえよがしのヒソヒソばなしをしている。
ぼくに声をかけてきた警官が、ぼくに、免許証の提示をもとめた。
ぼくは、すなおに応じた。
警官はぼくの免許証をみながら、片手にもった無線機へと、いきおいこんでなにかしゃべろうとしたが‥そこで、ハタと動きがとまってしまった。
あきらかに困っている。
警官がうしろをふりかえると、仲間の二人は、すでにその場をはなれている。
警官は、慌ててぼくに免許証を返してよこすと、もの問いたげなぼくのそぶりも無視して、そそくさといってしまう‥。
ぼくは、ニヤニヤしながら、自分の免許証をみた。
免許証の、情報記載部分の文字は、すべて、こまかいドットが絶えずうごめく、うずまきのようなものになっていた。
うるうるうる、うるうるうるとそれはうずをまいていて、文字としては、なにをもあらわしてはいない。
警官には、これがどのように、みえていたんだろう?
この免許証、このクルマのナンバー、そしてぼくの顔の人相を、ふくめて。
ぼくは、ニヤニヤと笑いながら、バックミラーに、じぶんの顔をうつした‥。
さて、あらためてクルマをだそうとして‥のばした腕の袖の下から、“ほつれ”た手首の肌がみえた。
よくみると、手首のところの肌は、ほつれるというより、裂けている。
繊維がむざんにぶつぶつと途切れ、裂け目からは、なかの詰めものが、とびだしてしまっていた。
ああ、とぼくはうめいた。
‥父と母を処分した、きのうのあのときに、ふるい繕いあとが、裂けたものだろう。
あとでまた、繕わないと‥むかしさかんに傷つけた痕だから、ひどく脆いのだ‥。
ぼくは、ゆっくりとクルマをだした。
了
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