#1 viEw

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1934年2月18日、某所孤児院にて解析不能な薬品を子供達に投与していたとして、孤児院院長井坂恭二氏(27)が逮捕された。井坂氏は終始容疑を否認し、「証拠があるなら出せ」と証言していた。 検察の努力もむなしく一つの目撃証言と、状況証拠しか発見されなかった。ただ一つの目撃証言も幼児の証言だったこともあり効力が薄れ、最終的には証拠不十分として不起訴となり釈放された。 ちなみに薬品を投与されていたと思われる子供達に一通り検査を受けさせたが、疑わしいものは何一つ発見されなかった。 「子供達は薬品を投与されていたことにすら気づいていなかった。恐らくなんらかの方法で、食事に混入させていただろう」というのが検察の見立てであったが、もう真実は闇に紛れてしまい日の光を浴びることはないだろう。 その後井坂氏だが、私を含む記者が死力を尽くして捜索に当たったが、行方は掴めず現在に至る。 1936年5月4
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