prologue

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「後十秒だけ、このままでいさせて」 切羽詰まったかのような悲しみを含んだ言葉。 それには感慨深い想いがあるのだろう。 だからこそ俺は、 「あぁ、十秒だけな」 了承してしまう。 乃愛の心の傷は思いの外に根深い。 そしてそれは同時に乃愛の姉であり、俺のもう一人の幼馴染みである空月 結の傷でもある。 乃愛が負った傷が心ならば結が負った傷は体躯である。 精神に比べれば体の傷は幾分か軽んじられる。 だがそれは強い人間の言い分であって弱く脆い人間からしてみれば精神さえ犯し抜く程に残酷な傷にもなる。 そして結は弱く脆い人間である。 常識人であるがゆえに悩んでしまう。 そうした〝普通〟に弱い人間なのである。 強い人間は滅多にいない。 小説やマンガのように心や体に深い傷を負っても前を見据えて生きていける程に現実は甘くもないし、儚くもない。 弱いならば弱いなりに折り合いを付けて生きていかねばならない。 しかし人間は淡々と機械のようにサクッと終わらせられない。 必ずシコリが残り、下手をすれば一生涯その人物に付いて回る。 だからこそ弱い人間はヒドく損をするのだ。 勿論、例外は存在してしまう。 この場で例えるならば俺である。 かつては俺も普通の人間。 心や体に傷が付いて回っていたが記憶を喪ってからは一転、今まで俺が良い意味でも悪い意味でもあった傷が跡形もなく消えた。 残っている体の傷は俺が今までに付けた傷なのか、はたまた記憶を喪った時に出来た傷なのか定かではない為に俺はこの傷が自分のモノだとは到底に思えなくなった。 それはつまり俺の傷があたかも他人の傷のようにしか思えないことと同義なのであって結局は俺には傷という俺自身の歴史さえも否定することになる。 結果、俺は精神(ココロ)にも体躯(カラダ)にも傷というモノが記憶とともに消えてしまったのであるからして今の俺には例外という言葉が当て嵌ってしまう。 勿論、俺のことは例外中の例外であり、普通の人からしてみれば記憶を喪失した〝障害〟を持った人間に過ぎない。 結や乃愛は普通の人であり、俺は障害を持った只の人間ということは変わりない。
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