軍需工場だけが、まともな職場だった

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電気は、定額電灯という、月額定額の料金プランがあり、電灯一個だけ設置可、その電灯使い放題の電灯だけだった。休憩室には、ワット数の大きい電灯があった。消灯までは、誰彼なくいた。 居室の電灯は縫いものにはつらかった。 居室の電灯料金は、三人の割り勘で給料から引かれた。 電気代と、寮食だけが避けられない控除で、工場には売店もあったが、私たちは、何も買わなかった。あ、生理の時の脱脂綿は買った。 だが、そこにあった饅頭も、せんべいも買わずに残そうとした。蚊取り線香さえ、私たちは、蚊が全部落ちたのを確認して、折ってちびちび使った。 朝鮮人は細かい(ケチ)!と、どれだけ言われたことか。 だが、自分で働いての夜学なら、勉強を続けても良い、それだけが条件の日本人少女と、子の稼ぎを親までが当て込んでいる朝鮮人少女では、違うのである。 年貢滞納で来た娘は、娘身売りして一括決済せよと迫る地主様に、平身低頭して、内地の工場の給金からぼそぼそでも払わせるから、どうかこの子を女郎に売るのだけはこらえてくれ、なんて過去を背負っている子がいるのである。 娘4人なんて家では、その4人とも内地に出して、小作地は地主に叩き返してしまう小作人も出た。 日照りによる不作は、小作人のせいじゃねぇ。同じ小作するなら、日本人地主だ。日本人地主の方が話がわかる。小作人の飯米と籾だけは手をつけるな、豊作の時に償いつけろや、で済むと。
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