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夜学は授業料は取らなかった。
教科書は、買いたければ買えたが、貸与もあった。貸与の場合は、希望者が多い年は、2人で一冊なんてこともあったが、途中で諦める子が出る。そのうち専用になった。
教科書は、高等小学校のものだった。
検定と言ったが、この夜学は、正規の高等小学校ではなかったので、高等小学校卒業と認められるためには、検定を受けなければならなかった。
出世頭は、日本人の子だが、高等小学校ではなく、女学校相当の検定に合格した子がいる。この子は、中学校の講義録で寸暇を惜しんで勉強した。
だが、貧乏とは言え、我が身ひとつを養えばいいだけの日本人少女にして始めて可能な道だった。
私たちは、その検定料も惜しんだ。
この夜学は、就業年限はなかった。工場の女工であるかぎり、何年来ても良かったし、今年途中でついていけなくなったら、また来年でも良かった。
こうして、たとえ正規の学歴にならなくても、新聞が読めるくらいになったら、それはそれで嬉しいものだった。
私の中学校卒は、戦後の夜間中学で取ったものである。
高校卒は、定時制高校で取ったが、高校見合いの勉強なんかしていない。だが、卒業は出来た。
私は、子どもに馬鹿にされたくないから、高校へ通ったのである。子どもの高校卒業の方が、私の中学卒業より早いのである。
一世と呼ばれる人々の、まして女の学歴は、そんなもんである。
李美姫の著作の表現を借りるなら、私も、「親が子にひらがなを教わるような、惨めな思いをして、自分のホルモン屋だけは繁盛させた」オモニのひとりである。
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